辞任

9月 19th, 2008

確かに、辞任は一つの責任のとり方でしょう。
でも、それが必ずしも解決につながるのでしょうか?
そんな事を思うことがあります。
自ら犯した不祥事や、自ら決断した事や指示した事が間違っていたのなら、そのしがらみを経つ為には一つの方法かもしれません。
それに、責任をとらなければいけないという仕組みもわかります。
でも、たまたまその位置に居たとか、表向きの建前とか、矛先を変えるためだけの首のすえ換えでは、むしろ明るみになることを妨げてしまうことがあるのではないか?とも思うのです。
これは世間を知らないものの考えでしょうか?
かも知れませんが、でも、それがいろんなものの妨げになるのなら、それより、どんなに惨めでも、どんなに汚れても、正義を貫くことが出来ないのだろうか?と思ったりもします。
このごろの辞任、また多くがごまかされ闇に葬られるのではないか?と、思ってしまうのです。