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辞任
9月 19th, 2008
確かに、辞任は一つの責任のとり方でしょう。
でも、それが必ずしも解決につながるのでしょうか?
そんな事を思うことがあります。
自ら犯した不祥事や、自ら決断した事や指示した事が間違っていたのなら、そのしがらみを経つ為には一つの方法かもしれません。
それに、責任をとらなければいけないという仕組みもわかります。
でも、たまたまその位置に居たとか、表向きの建前とか、矛先を変えるためだけの首のすえ換えでは、むしろ明るみになることを妨げてしまうことがあるのではないか?とも思うのです。
これは世間を知らないものの考えでしょうか?
かも知れませんが、でも、それがいろんなものの妨げになるのなら、それより、どんなに惨めでも、どんなに汚れても、正義を貫くことが出来ないのだろうか?と思ったりもします。
このごろの辞任、また多くがごまかされ闇に葬られるのではないか?と、思ってしまうのです。
4 Responses to “辞任”
またまた、トカゲの尻尾切りになって仕舞いました。
責任をとって辞任するのではなく、クビが妥当でしょう。これだけ国民を軽視した結果です。また役人とは役に立つから役人というのです。役に立たなければ、役人は必要ありません。
この際直接の担当者から大臣までクビにして、改めてやり直しが必要です。農水省の農民に対する態度も、納得出来るものではありません。
本気で責任をとると言うならば、国会議事堂の前で腹を切ってこそ本気だと納得します。単なる選挙用に辞任するならば、国民は見抜きますよ。
でも・・・死んで責任を。って言うのもどうも・・・
それより、膿を出し切ることに、明らかにすることに命を掛けることは出来ないのでしょうか?
と言うか命を掛けるってそう簡単なことではないと思うのです。
死ぬこと、辞任すること、処分すること、この方が都合のよい、安易な逃げ道だと思うときがあります。
今回は?も?ってね。
難しいですね。やめたからどうなるものでもないです。
とはいえ何も責任を取る態度をしないのもどうかなって感じです。
本当のところを言えばお役人なんて何もわかってないのが現実です。
見えてるわけないって感じです。
癒着が怖いんで2~3年で担当替えるんですからね。
とにかく良心なき利益の追求が全ての原因です。
道徳教育が重要です。
確かに、なにも責任をとらないで済むことではないにしろ、大臣、総理、役人、逃げてる、中途半端、カモフラージュに見えてしまうことが多すぎます。
って、根本、その役職、人事に無理があったと言うことなんでしょうけど。