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神社って?
1月 13th, 2009
受検シーズン真っ只中、あちこちに受検グッズ、祈願などの文字や関連グッズを目にします。
今やネット時代、初詣だって、祈願だって何でもネットでいけちゃう時代ですね。
「菅原道真を祭る**神社で祈願します。」なんて文字が目に付きます。
受検の神様と言えば「菅原道真」
でも、全国に、菅原道真が祭られた神社ってどのくらいあるんでしょう?
っていうか、なんで同じ人を祭る神社がものすごく沢山存在できるの?
先日神社、お寺を廻ってどうしてこんなに神社があるんだろう?って疑問を感じた。
お寺なら分かる、仏様でしょ。だから、ありえる。
でも神社って?
歴史は難しいです(日本史、とっていません・・・言い訳です)
9 Responses to “神社って?”
神道の神は無限に分霊することができ、分霊しても本来の神威が損なわれることがないとされている。
神社(じんじゃ)とは、神道信仰に基づいて作られた宗教施設。戦前にはいわゆる「国家神道」のことを単に「神社」と称した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
との事です。私にも解らないけど・・(笑)
ただ、国家(時の権力者たち)が、国民を支配するために使い続けてきた、一種の「政策を浸透させる施設」だと考えています。
もっと細かいことを言えば、「古来からあった土着の信仰神」を、全て「○○神社」と改称させ、御神体を神話の神に置き換えたりしたことも含めてね。
「えみし(蝦夷)」をやっていて、その一部を垣間見、神社本庁の力の怖さを知った。
ををっ・・・なるほど。
「分霊しても本来の神威が損なわれることがないとされている」
って事は、札幌八幡宮(菅原道真を祭っているとのことです)も北野天満宮も、大宰府もおなじにご利益があるということなんでしょうか?
ちなみに、あの3社参りという考え方は、3人も神様にお頼みするのがいい?
でも、子供達の受検のときは、近くの札幌八幡宮でも大丈夫だ!と思ってお参りすることにします。
さすが「えみし研究家」ですね。
ありがとうございました。
XX神社 靖国神社・鷲神社や氷川神社など
XX八幡 鶴岡八幡宮 いわゆる八幡様ですね
天満宮 大宰府天満宮・・菅原道真が祀られている?
大社 出雲大社や 諏訪大社 ここが大元なのかな? (^^;
八百万(やおよろず)の神と言うだけあるみたいですね
信仰心が無いので 良く分かりませんけど
神様のいるのが神社で 仏様関係がお寺 と子供の頃に聞きました
札幌八幡宮が菅原道真をまつっていると。
これが疑問の始まりでした
読売新聞
札幌八幡宮
なんだか本当に難しいですね。
「神様のいるのが神社で 仏様関係がお寺 」私もこのくらいしか知りませんでした。
神社の神様って、狐・牛・ヘビ・はと・鶏・亀・鹿・カラスとかもあるようですね~お寺でお葬式するけど、神社でお葬式ってするかな?人が亡くなると、家の神棚は半紙で隠したりしますよね。
外国の人は、自分の信仰するものをちゃんと持っている、でも日本人が外国に行って、宿泊する時に宗教という欄にが空白で、不思議に思われることがあるって・・・
私もよく歴史わかんないけど、鎖国時代もあったりして・・・
何を信仰するか?手を合わせるか?って考えた時があります。
日本人は、お天道様にも手を合わせるっていう感じですよね!
何にでも手を合わせる日本人ってどうかな?と思った時もありましたが、今はそれもいいのかな?って思ったりしています。
心を通わせ手を合わせるときに、そこに私たちを包む大きな力が働いているんだと思います。そう信じたときには、何もかもが力をかしてくれるような気がします。
確かに、お正月祝って、お盆でお墓参り、クリスマスには・・・って何でもありですものね。
その上、その本来の意味も知らずにね。
神棚のある家で育ちましたが、中高とミッション、信仰と言うものを初めて観た気がしました。
でも、それを自分も理解することは出来なかったに、肯定も否定も出来ませんでした。
信仰を持てる人は楽なんだろうな!って思ったり。
ただ、無理強いするものではありませんしね。
ほんと、そういう意味では面白い国なのかも知れませんね。
神を語れば何千年かけても時間が足りません。それだけ多様化している気がします。神の対象は、人・動物・太陽・星・月・木などがありますので、一言では語り尽くせません。
神を利用して民を支配する者も居れば、神を利用して自分自身を戒める者もいます。
私はバチ当たり者ですので、豚児達の受験の時には神信心はしません。受験に失敗した時には、神が悪いのではなくて自分が悪い。受験に成功した時には、神が力をくれたのではなく、自分の努力の結果と豚児達には言っています。
私の持論は、「神に頼る前に自分に頼る」事にしています。呪われた生活をしていますので、私が神に頼る事はありません。
カナダ人との話で、宗教の話題が出た事がありました。その時に無神論者と言った時に、まるで未開人の様に言われた事がありました。彼はケベック出身でしたので、母国語はフランス語ですが、私は彼の言葉をそう受け取りました。それだけ日本人と外国人では神に対する考え方が違う様です。特に中東の人たちは、ジハード(聖戦)と称して、戦争の火種になる事があります。日本ではそのような戦争はあまりありません。「神が殺し合いを喜ぶか??」が疑問に思います。しかし彼らにとっては神は命に代え難いものだと思います。
中東の人だと思いますが、その時にも神の話がでました。やはり無神論者と言えば、「気の毒だ」と言われて仕舞いました。
神とはいったい何でしょうね。
遙か昔、
渡来人が偉い故人(王族)や故郷を想うところから、それらを奉る場所として始まったのではないかという説があります。
ですから現在の読み方や漢字はその当時とは微妙に変化しているようです。
関東地方には今もいろんな地名が残っているようです。
日本は「倭」の時代から「日本」に変わるあたりを隠して(神話化)いるフシがありますから、そこらあたりが開示されないと本当の姿は見えてこないと思います。
韓国や中国との関係も知っている人(天皇家など)は知っているはず。
それが先の日韓共同開催サッカー開会式での天皇の言葉に表れています。
ちょっと外れましたが ぼんやりそんな風に思います。
> 福餅さん
確かに、信仰心のある人からすると無神論者は気の毒かも知れませんね。
私は都合はよく、何かの時には、ご利益を期待し、げんを担ぎ、何でもいいからよろしく!ですわ(笑)
> たざおさん
神社、お寺に関わらず、地名も歴史的背景や信仰的拝見が深いですね。
信仰と現実、宗教と歴史、興味深いことは沢山です。
すこし身近に感じていろいろ思い巡らすと尽きませんね。