JUDO

8月 14th, 2008

やっぱり観てしまうオリンピック。
今までほとんど観ることが無かった柔道。息子が昨年から(なぜか?)始めてしまったので、今回はよくTVがついています。
でも・・・まだ母はレスリングと区別がつかないのでありますが・・・(笑)
男子が辛いですね。
柔道のイメージの技、機敏さ、一本!という世界は今の柔道には無いように見えてしまいます。
まだ女子はあるようですが、これも時間の問題かもしれません。
そういえば・・・「教育的指導」ってのがなくなりましたし、「効果」もなくなります。
これが「柔道」の心を表していたものだと思うのですが・・・
ポイント制、減点制の「JUDO」に変わってしまうように感じます。
って、なにも柔道について分からない私ですが、なんだか今の柔道はしっくり理解できないように感じます。


5 Responses to “JUDO”

  1. toraneko on 8月 15, 2008 12:53 AM

    一番の問題は審判が下手なことです。
    ひどい国だと年に二回くらいしか審判しないような人が代表で来ます。
    日本的なあいまいなルールがいけないんでしょうけどね。
    双手狩りはすぐに決めなければいけないとか
    奥襟は長く持つと警告とか
    結構審判の判断に任されているんですがどれも感覚がばらばらです。
    まあでも鈴木は力が落ちたんでしょうね。

  2. ケラ on 8月 15, 2008 6:48 AM

    曖昧な判定というか、いや、素人からは全くと言っていいほど理解できない判定です。競技を観る眼が無いのでしょうね。息子は「なんだか今のわけ分から無い」ってよく言っています。
    ただ、今回のオリンピック(柔道以外も)連覇でのメダル獲得が多いですね。
    やっぱりそれなりの逸材だったのでしょうが、世代交代が上手くいっていないのでしょうか?

  3. ちゃちゃん on 8月 15, 2008 10:43 PM

    年々、日本には不利なようにルールが変わっていくような気がします。日本発祥の柔道。JUDOとして一人歩きしているような気がします。
    それにしても、本当に国際試合の審判ですか?と問いかけたいような審判が多いと思います。今年こそ時間を作って、審判のライセンスを取ろうと思っていますが、あのようにはなりたくないなぁ。
    実は柔道のルールが2種類あるんですよ。国際審判規定と講道館審判規定。日本で柔道の審判をやるときにはゴチャゴチャになってしまう事もあります。

  4. 福餅 on 8月 15, 2008 10:57 PM

     私は初段ですが、今の柔道の基準が判りません。
     柔道の「道(どう)」とは、精神修養の意味が含まれています。これは剣道も華道も茶道も同じです。精神修養とは自分との戦いになります。「道」が無ければ単なる喧嘩に過ぎません。
     この精神修養は外国ではあまり受け入れられないのでしょうか??特に「双手狩り」などは、力であって技術ではありません。外国では特に力強いのが良いとされているようですが、体力の無い日本人は技術を重んじる国民です。基本的に柔道とは日本発のスポーツになりますので、日本に意見を求めて欲しかったと考えるのは私だけでしょうか??
     私はあまり熱心でない初段ですので、偉そうな意見は言えませんが、今回のオリンピックの採点基準が判らなくなりました。やはり時代が違って来たのでしょうね。
     しかし今回のオリンピックは若者が頑張っています。そろそろ世代交代の時期と理解しています。
     がんばれ!!ニッポン!!

  5. ケラ on 8月 16, 2008 10:22 AM

    > ちゃちゃんさん
    お久しぶりです。お子さん大きくなったでしょうね!
    実際やっていらっしゃる方はもっと納得がいかないでしょうね。
    もうすでに、日本のスポーツではない別の格闘技になっているようですね。
    審判のライセンス頑張ってくださいね。
    息子も11月に新人戦、校内大会(息子の学校は柔道が校技なんで全員出場です=必ず何人も骨折します)こんどこそ!出てほしいものです!(4度目は・・・勘弁してほしいです=骨折)
    > 福餅さん
    精神論というか、やはり文化の違いかも知れませんね。

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