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滅びの美学
12月 25th, 2007
今朝の7時代、8時代とワイドショーで取りあげられていた読売の記事
フランダースの犬
あの名作(?)フランダースの犬に感動するのは日本人だけなんだそうで、本家の欧州では、「負け犬の死」としか映らないと。
アメリカでも、あまりにも暗いので最後はハッピーエンドに作り変えられているとか。
その分析として、「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。」と。
でも、自己犠牲的精神ってキリスト教の本質ではないのかな?
「滅びの美学」。これが日本だとしたら、欧州やアメリカは、誤解されたまま滅びることを認められないというところにこだわるのかもしれませんね。
4 Responses to “滅びの美学”
お国柄によって・・・受け入れられるものって違うのでしょうね~
私もアメリカの映画見て・・・違う!って思ったことがありましたけどねっ なるほど~~
ですね。
違う国で大うけのものも、日本ではどうして?っていうのあるものね。
でも・・・私、いまどきの若い人の笑いとつぼがこのごろずれていると感じることがあります。(笑)
国民性もありますが、一つの事柄の見方もいろいろありますね。
日本の国民性として、「お涙ちょ~だい」の話しが好きです。ところが私はもう少しクールに考えています。例えばホームレス中学生の話題がクローズアップしていますが、私の考えでは中学生にしては知恵が足りないと思いました。私だったら友人や親戚を頼って、何かのアクションをしたと思います。また、学校でも教師がいます。相談相手は何人も居た筈なのに、そこまで知恵が回らなかったのでしょうね。これは本人で無ければ本心は判らないと思いますが、それでももう少し改善策があった筈です。
欧米では自分が危なくなると、相手に寝返っても裏切り行為ではありません。例えば第二次世界大戦の時に捕虜になったアメリカ兵は、帰国すると英雄になります。これは恐らくキリスト教の教えだと思いますが、先ず自分を大切にする事になっています。
これが日本人にとっては、国民性が違うものと思います。日本人の場合は、捕虜になった瞬間に裏切り者です。カミカゼの様に肉弾になった兵士が、日本では美学です。
死んだ本人は名誉だけで、何もメリットはありません。それでも「お国の為に・天皇万歳」と言って死んだ兵士は、靖国神社に祭られます。しかし捕虜になって帰国した兵士は、「非国民」と称して冷遇されます。
やはり日本と外国では国民性が違うのでしょうね。子供の物語だけに、或る程度の脚色は仕方ない事だと思います。
日本では常識でも他の世界では非常識ってことも多いですしね。