栄華(映画)の後

10月 5th, 2007

40年ぶりにあの!夕張に行った。
おぼろげな記憶の夕張は活気にあふれ、大きくにぎわった街だった。
ピーク時は12万近く居た人口。私が居た頃も10万を越す道内6位の大きな都市だった。
今の夕張は人口1万2千ほど。ピーク時の1/10。
人の動きが感じられない閑散とした空気が流れていた。
生まれた家があったところ、幼いときに過ごした官舎、すべて自然に帰っていた。
まるで沢、山肌。人の営みも感じられない空間だった。
わずか6,7歳だったのに。夕張の町に立つと、次々と同級生の固有名詞が頭によみがえった。
その名前を店名見つけまだ存在している友人の顔が浮かぶ。
自分ながらよく覚えていたと思う。
生きていれば70歳を越す母親が育った家は今もそのまま存在した。
私にとっては祖父母の家。
スライドショーのようにいろんな映像が頭に浮かんだ。
大きく、人であふれていたメインストリート、今は車もまれにしか通らない人通りのない路地のような空気。
夕張映画祭で町おこし!と、意気込んでいた名残の映画看板が並んでいた。
いたるところにある黄色いハンカチはさびしくゆれて、かえってさびしげ。
なんだか・・・さびしい気持ちしか感じなかった。今は誰も親類は居ないけど。やっぱりふるさと。


4 Responses to “栄華(映画)の後”

  1. Aki(ちゃー坊) on 10月 6, 2007 7:39 AM

    夕張 炭鉱の町ですね
    石炭が黒ダイヤともてはやされてた頃は活気があったのでしょうね
    記憶にある生まれ故郷が寂れてゆくのは寂しい事度と思いますが
    私は生まれも育ちも東京の下町なので いまだに賑わい続けてます
    と言うより 進化し続けてますの方が合ってるかもd(^-^)ネ!
    小学校の校舎は鉄筋コンクリートに立て替えられてるし
    中学校は 近隣に新築された2つの学校にに分けられ
    元の校舎は小学校になりました
    家並みも全く変わり 昔の写真を見ると 違う場所みたいで 
    寂しさを感じますが 時の流で致し方ないのでしょうね (^-^)b
     

  2. ケラ on 10月 6, 2007 3:51 PM

    いい機会でした。
    親類も1件も居なくなって30年。母方の実家のお墓があるだけで、そうそう行く機会もなかったんです。
    でも6歳ほどの記憶ですが、よくあったな!ってくらい覚えてて。
    もう少し大きくなるまで居たら、もっとふるさとって気持ちになるんでしょうね。
    今住んでいり所はそれからずっと。
    当初はまだ畑も多く、札幌もはずれという感じでしたが、今は高層マンションも増え、すぐ横をバイパスが通ります。
    子供たちにとってのふるさと。Akiさんのような感じになるのでしょうね。

  3. 福餅 on 10月 6, 2007 11:46 PM

     人々が少なくなっても、街を支える人達が残っているのですね。或る意味で力強いものを感じます。
     時代が移り変わると、人々の入れ代わりがあります。いつまでも残して欲しいと思っていても、許されない状況もあります。
     私は就職してから転勤族でしたので、いろいろな所に住んでいました。今まで住んでいた街も、変化しています。住んでいたアパートも撤去されますと、ちょっとがっかりします。これも時代として受け入れなければならないのです。
     平家物語にもある様に、栄枯盛衰は避けられないのでしょうね。

  4. ケラ on 10月 9, 2007 7:39 AM

    ただ・・・ちょっと疑問もありました。
    財政難の中、メロン城(市の観光施設)の売店では客はほとんどこないのに、店員が2人。ちょっと疑問を感じました。
    雇用対策なのか?それとも治安なのか?そしてホテルも平日、シーズンオフのためか、お客さんは無く、従業員だけの空間でした。

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