Comments are closed.
政府の教育再生会議
3月 21st, 2007
新聞社記事
政府の教育再生会議の第3分科会(教育再生)は20日の会合で、大学の学部教育の質を担保するため、卒業時の認定試験の導入を検討することで一致した。
また、
「極端に言えば九九が出来なくても大学に入れる」などと、大学生の学力低下を懸念する声が相次ぎ、4年間の学部卒業時に何らかの認定試験を設ける必要性で大筋合意したという。
とか。
まあ、大学ですから、一般教養的な認定試験が必要か?といえば疑問ではありますが、でも、それはやじゃり大学ですから、その辺の高校生にも及ばないような教養じゃ「大卒」と語ってほしくないのは確かです。
学校、学部での教養、知識格差が大きい今、確かに「大卒」だけではその人の評価は出来ませんものね。
だったら、TOEICみたいに、***認定試験・・・点です。みたいな方が分かりやすいですかね?
でも・・・これって、大学じたい考え直さないといけないですよね。
2 Responses to “政府の教育再生会議”
私は七つまでは数えられますが、それ以上になりますと、ちょっと不安です。それと言うのも私は幼稚園を三つもクビになって、とうとう幼稚園は卒業できませんでした。
私の考えでは、大学とは教育機関と称する研究機関と考えています。つまり教育は高校までで充分に高等教育を習得したものとして、研究に必要な教育を付け加える事になります。
研究者に改めて検定をする必要があるかどうかの問題ですが、最近の大学では高校の授業を改めてしている大学もある様です。それは研究に必要な高校での教育が不足して、それを補う為の授業との事でした。
この状況では研究を進める事が出来ません。高校3年間の価値を問いたいと思います。
団塊の世代の人達と話しをすると判りますが、この世代である程度学問を修めた人は、かなりの努力をしています。「狭き門」と言う難関を通り抜けて、他の受験生との競争で勝った人達です。文系と言われる人達でも、理科や数学に詳しいものです。理系と言われる人たちも、経済や政治などの知識が豊富です。所謂マルチ人間と言える人達です。この人達には頭が下がります。
努力だけでなく、かなりのパワーがあります。最近では団塊の世代の人達が引退する時期に入っていますが、このまま引退されてはもったいないと思っています。まだまだ活躍の場を設けて欲しいものです。
大学の認定試験があるのでしたら、大学は必要ないのでは??大学受験検定があるのですから、大学の認定試験に合格すれば、大卒と同じ資格となります。これでは大学の意味がありません。
大学とは「もう少し知りたい」「もう少し考えたい」との事で、進学するものです。試験の為に大学に行くのではありません。
ただ、試験が無ければ学生さんは勉強しないと言われています。これも然り。遊んだ方が楽しい生活が出来ます。
果たして認定試験が必要か否か、様子を見たいと思います。
今の大学って、団塊の世代の人たちの高校というくらいの位置づけしか出来ない機関になってきたんじゃないでしょうか?
で、その後を勝ち残るとしたら、大学院とか資格試験とか、そんな位置づけに考えないといけないかもしれませんね。