格差社会」を裏付ける就学援助の急増

2月 22nd, 2007

道民のおよそ3分の1が集中する札幌市。
経済的理由によって就学が困難な児童、生徒の保護者に対し、市町村が必要な援助を与える扶助制度「就学援助」の給付が6人に1人という状態なのだそうです。
認定率はわずか10年間で2倍以上に増えた。
認定を受けるための審査基準は、その年度によって多少の変動こそあるが、基本的には世帯の年収が生活保護の認定を満たす限度額の約1.1倍以下であるということ。
05年度は4人世帯の場合、自宅や自家用車を持っておらず、給与が371万5,000円以下の世帯がそれに該当した。自営業などは、242万9,000円以下だったそうです。
決して豊かではないけど、このくらい普通に居そうだ。って、我が家が貧乏か?って(笑)
北海道は、まだまだ景気の浮揚感を実感出来ない。


2 Responses to “格差社会」を裏付ける就学援助の急増”

  1. 福餅 on 2月 23, 2007 12:37 AM

     現在、東京都に対して私立中学に通学している児童の保護者から、私立学校授業料の補助を出す申請運動をしています。
     最近では公立中学に行くと、受験対策がありません。機械的に授業を進めるだけです。当然、学校だけの教育では不足するのは、かつての文部大臣が表明した通りです。つまり中学の経費以外に教育費が必要となります。また私立学校では塾が必要ない代わりに、授業料が必要となります。これだけ教育費が嵩む社会で、子供をたくさん生めるのでしょうか??
     拙宅では3人の子供がいます。それぞれに授業料が必要です。貧乏に貧乏を重ねています。
     経済的に助かったのは、三鷹市から医療費の補助がありました。これは子供が3人いた為です。2人であれば補助はないと記憶しています。3歳以下の幼児には医療費が無料になります。子供はよく熱を出したり、暴れて怪我をしたりで、医療機関から縁が切れません。この補助は「地獄に仏」の心境でした。
     しかし医療費も3歳を過ぎますと3割負担になりますので、これが意外と痛い出費になります。特に就学前には体力も無い割には、暴れるので怪我をしたり、熱を出したりします。
     この医療費は助かったのですが、教育費も補助して戴ければもっと有難いです。公立中学でさえ、塾の費用が必要です。私立中学では更に大きな出費があります。
     私立中学は修学旅行も公立中学と同じではありません。また友人宅は近所とは限りません。友人宅に遊びに行くにも、交通費が必要となります。保護者同士の付き合いも、安普請という訳にはいきません。一番上の豚児♀の高校で、私はPTAの役員を1年間だけ務めた事がありました。その時に穴の開いた靴を履いていましたが、女子高ですので他の役員からはかなり白い眼でみられたものです。やはり貧乏人が私立学校に行ってはいけないのかも知れません。それでも新しい靴を買うぐらいでしたら、参考書の1冊でも買って、まだ履ける靴を限界まで使う事にしています。
     教育費に限らず、子供が多い場合は生活費+教育費以上に補助してくれると、もしかしたら少子化は無くなるかも知れませんね。子供の多い家庭は、全面的に国が協力してくれるなら、心配なく子供を生む事が出来ます。・・・税金徴収には限界がありますが・・・。
     雑談をしたり、挨拶の出来ない国の代表者に税金を使うならば、子供に税金を使った方が、将来の日本が明るくなります。

  2. ケラ on 2月 23, 2007 11:26 AM

    本当に徹底した理念と実行ですね。
    とても私には出来ません。
    先日息子が受験した学校は受験者のほとんどは受験の為に小学校から塾に行っています。
    発表の次の日、すぐに大手予備校は合格実績をHPで発表していました。
    全国規模の大手で合格者の約8割を占めていました。
    あとの2割は札幌市のみの塾と地方らしいと思います。(息子の行っていた塾は近所の1校だけの小さなところで合格者の1割弱。あとは地方の人かもしれませんから。)
    で、その子たちはほとんど(寮生は除き)中学、高校でも塾を続けます。
    公立の何倍もの授業料を払った上にです。
    それも現実です。
    論点がずれるかもしれませんが、我が家よりずっと豊かな過程が、私立は高いから公立しか行かせられないとよく聞きます。
    まあ、北海道はまだまだ公立を落ちた人が行くのが私立という感覚が根強く残っていますが、年々変わってきているのは確かです。
    でも、教育は15年から20年。もっともお金がかかるのは10年でしょう。でもその時期は後で取り返しがつかないのです。
    出来るだけ質の良い環境で、こどもの意欲と自立心を養える環境においてあげたいというのは親として当然のことだと思っています。
    でも・・・やっぱり私はすべてを犠牲にというまではしないと思います。

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