作為的でないものって・・・

2月 15th, 2007

あるあるⅡ、人間・・・、そしてトリビア。
常に作り手の作為的な思惑で事実を作り変えている今。
今朝の新聞で、今度は「JT」。
神奈川県の「公共の場を全面禁煙にする」という条例制定の賛否を問うアンケートに、反対の票を投じるために社員を動員し、販売店には、依頼して終了間際に賛成から反対に逆転させていたというのです。
この世の中、何かしらの作為が働き、人為的に興味も嗜好も、勿論流行も作られていることは確かです。しかし、こうまでいろいろ続くと、すべてのことが「本当はどうなのよ!?」って気がしてきます。
自らの判断が必要で、各自が正しい基準を持たなくてはなりません。
でも・・・その個々のセオリーまで操作されかねない今。恐ろしいことです。


2 Responses to “作為的でないものって・・・”

  1. 福餅 on 2月 16, 2007 3:21 AM

     JTは昔は専売公社と言っていましたが、最近では禁煙活動が盛んになり、JTも生き残りがかかっています。今回の行動も理解が出来ない訳ではありません。しかし常識的に考えますと、ちょっと姑息な手段と言えます。
     あるある・・・が、どれだけ真実かは、今となっては判りませんが、やらせや作為的なデータはいろいろとあります。
     大都市周辺の大気汚染に関しても、殆どが東京都内で測定していますが、1箇所軽井沢が入って基準値を達成させたとの事も聞いた事があります。基準値達成が叶わない場合は、都合の良いデータを入れて仕舞うものです。
     明治時代にはタバコは年齢制限がありませんでした。またタバコに課税する事になり、政府の関係者が国民に一生懸命薦めた歴史もありました。これは税金を集める為の作為的なものです。
     私が学生時代に世論調査のアルバイトをした事がありました。表向きには本人に直接会って話しを聞く事になっていましたが、青森での事ですので、出稼ぎに行って仕舞った被験者が多く、データにはなりませんでした。会社からは20人のうち、16人以上の結果が無いとデータにならないと言われて、私も必死でした。そこで認められない代理人に答えを戴き、それをデータにした事がありました。これでは正確性に欠けます。しかし金銭の問題がありますので、絶対にデータを持ち帰らないといけないと、自分自身の強迫観念があり、代理でも誰でも答えを出して仕舞いました。与えられた人物が居ない場合は、私自身が答えを書いた事もあります。
     今ではコンピュータと言う通信手段があり、アンケート調査会社があります。これが一番正確かも知れません。アルバイトを使って調査するものは、本当に正確かどうか再度調査する必要があります。
     これからはアンケートや世論調査のデータは、参考までに留めておいて、判断は自分自身がする事がいちばん正確だと思います。但しアンケートが全てデタラメかと言いますと、それは言い切れない部分もありますので、データは参考までに留めておきましょう。

  2. ケラ on 2月 16, 2007 7:32 AM

    情報が少なかった時、ある意味、住む世界が狭かった頃は入ってこなかった、疑問に思わなかった事も今は得ることが出来ます。
    それだから見えること、知りえた作為かもしれませんが、だからこそ、自分を持って、考え行動していかなければいけませんね。

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