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違和感
12月 7th, 2006
親が人(他人)に自分の子供のことを話すとき
「・・・ちゃんがね・・・」って言うの、なんだか違和感がある。
どんなに小さくても。
まして、すこし大きくなってから(幼稚園くらい)は。「・・・くん」いや、「・・たん」とか。
なんだか「あらら」って思ってしまう。
そりゃ、面と向かって本人にとか、家庭内では、私も娘、息子に「・・・ちゃん」なんていうこともあるけど(ほとんどが作為、下心ありの時)、ほとんどが呼び捨てかな?
呼び方だけじゃないけど、身内のことって難しいよね。
東京都知事。
4男の件。確かに才能あるし子供だから無理も言えるかもしれない。
でもオフィシャルで身内を取り上げるのって、全世界が「この人が一番!」ってくらいの裏づけっていうか、納得させられるものがないと、なんだか品格がないような気がします。
へりくだる。これは日本の文化だと思います。
4 Responses to “違和感”
ほんとですね。親の石原都知事さえ人間的には最低だと思ってる僕にはあたりまえのことですけど。最低の親がいてちょっとぐらいましな人間があるなんてそれは楽天過ぎます。頭も顔も全然ぶっちぎりで悪いのが石原一族、小泉とか阿部とかはもう話したくもないのがほんとうの日本の現実です。だって天皇家でやさしそうな人はいるkれど、才能あるような人って見た事ないでしょ。みんな犠牲者です。美智子さんが嫁いだ時、心ある日本人はみんな同情してたんですよ。どんな人間だって好きな人は自分んで選べる時代じゃないかってね。インチキ臭い世界だから正直な事を言うとほんと迷惑かかるから、これでよしますけど、変な日本です。バースの掲示板は正しい事いっただけで無茶苦茶やられたんですから。
でもケラさん、賢くて普通に生きてる男が口だけの世の中、ほんまさみしいけど、僕はケラさんが大好き。まあ、弁当が美味しそうだからですけど。
普通の人は善良であるべきです。
そして、それが普通であり続けなければ。
で、ないから、なんだか変になっているんだと思います。
私の場合は自分の子に対しての呼び方は、「ちゃん」を付けています。しかし他人が入りますと、敬称は略しています。これは他人に対しての敬意の意味もあります。
さて、私から見ますと、石原都知事はちょっと自分勝手なところがあります。これが都民の意思と合致しているのであれば、問題が無いのですが、都民の意思と反した場合は、かなり強引にも思えます。
石原都知事からの私の被害は、ディーゼルエンジンの排ガス規制でした。
私の車はディーゼルエンジンのワゴン車でしたので、結構気に入ってました。後5年ぐらいは乗りたいと思っていましたが、残念ながらこの排気ガス規制があった為に、手離さざるを得ませんでした。この排気ガス規制で、廃業を余儀無くされた運送業者も少なからずあります。
普通の規制であれば、この範囲で『製造しなさい』とか、これ以上の排ガスの車は『販売は出来ません』などの規制ですが、『使ってはいけません』の規制は、今使っている庶民に大きな負担となるものです。また私はディーゼルエンジンが好きで、ガソリンエンジンには無い独特のものがあります。仕方なく私はガソリンエンジンの中古車を購入しましたが、この車一台分の被害がありました。
私が勘繰るのは、石原都知事が大手自動車業界との癒着の疑惑です。車を早く廃車にすれば、販売サイクルが早くなるので、これだけ自動車業界は潤うシステムです。私の場合は以前のディーゼルエンジンのワゴン車が使えたら、今の車はまだ買いません。先延ばしします。
またこの排気ガス規制は、クラシックカーが走る事が出来ません。当時の技術の結晶とも言える車が、今は走ることが出来なくなります。ノスタルジーに魅力を感ずる年齢には、ちょっと残念です。
だだ、この排気ガス規制の為に、都内から富士山の見える回数が増えたのも事実です。
確かに、何かを推し進めるためには強行といわれることを決断しなければいけないこともあるでしょう。
でも、それが、一貫したポリシーの元でなければいけないし、ましてや。各地の知事のように思惑によるものであってはいけないし、ましてや、それが、私欲、自己顕示欲、**馬鹿であってはいけないと思います。