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大学が学生の帰省旅費を補助
11月 20th, 2006
このごろ。「大学って変わってきてるのね!」と、驚くばかりだが、
今日はこんな記事を見つけた。
各地の私立大学で学生の帰省費用を補助する制度が生まれている。と、言うのです。
導入のきっかけは、学生の保護者から「休みになっても帰ってこない」との声が大学に寄せられたためだ。との事ですが・・・???
でも、大学生にもなって、実家に帰省しないことのもんくを学校に言うわけ?
小学生が「帰りが遅いのですが・・・」と職員室に電話をするのと訳が違うでしょうが。
それに、家に帰省しないのはお金の問題だけだろうか?
ま、学校の思惑もあるようで、
四日市大学の補助額は、公共交通機関を使うことを条件に、北海道と沖縄県が1万5000円、東北、関東、北信越、九州、中四国地方が1万円、近畿、北陸地方が5000円。帰省を証明するため、母校を訪れて恩師や後輩に大学生活を報告し、大学に報告書を提出するよう義務づけた。とか。
ま、いまどきの学生、ちゃっかりこの制度でおこずかいGET!なんて思うかもね。
文部科学省私学部も「帰省費用の補助は全国的に珍しいようだが、大学の魅力やサービス向上が求められる時代においてPRできる部分だ」としているらしい。
本来の教育力、社会貢献度などで勝負してほしいのですが・・・ね。
2 Responses to “大学が学生の帰省旅費を補助”
最近の学生さんは随分と恵まれています。
私の時代は帰省料金は自腹でした。その為に列車は使わずに、自分の車を使っていました。学生時代には親元は東京でしたが、私は青森に住んでいました。当時は高速道路も埼玉県岩槻市から栃木県矢板市までの区間しかあまりせん。東北自動車道は無いに等しい状態でした。もちろん東北新幹線は全くありません。それに伴って高速バスなどは全くありません。
当時の私は排気量360ccの軽自動車でしたので、東京と青森の行程はかなり体力の必要な車です。この車で東京を夜出発しますと、青森に夕方到着します。概ね20時間かかることになります。エンジンを止めるのは、中間地点の仙台で給油する時だけでした。昼夜を通して走りっ放しで、到着しますと半病人のような状態でした。これだけ体力があったのは、若かったからでしょう。この軽自動車の為に、往復旅費はかなり節約になりました。
ところが東京の自宅に帰りますと、今まで自分の部屋と称した所が、倉庫の状態になって仕舞います。結構居心地が悪いものです。青森に住み着いて最初の頃は時々帰省していましたが、毎回居心地が悪いと帰る気力も体力も失せて来ます。そこで青森に慣れてきますと、帰省しなくなりました。
青森の冬は結構風情があります。私達は正月を青森で過ごす学生連中を、「越冬隊」と称して小グループで集まって生活したものです。この方が居心地が良いし、自分のスペースがあります。この「越冬隊」の人数は次第に増えてきて、最後には何年も帰らない連中も出現してきました。私もこの「越冬隊」の隊員に加わって、のんびりした生活を楽しんだものです。
特に学校で実験に入りますと、夏休みも正月も帰省する訳にはいきません。これも帰省しない切っ掛けになって仕舞います。単なる金銭の問題だけでは無いようです。
四日市大学では、東北まで1万円ですと、途中から歩かなければなりません。この距離はヒッチハイクの必要な距離になります。
北海道や沖縄ですと、津軽海峡や東シナ海で、ドボ〜ンとなって仕舞います。泳げる距離ではありません。これだけ補助を貰っても、変える気にはなれません。金魚鉢の金魚の様に、静かに自分のアパートで暮らしていた方が良いかも知れません。
この帰省料金は、結局は親が払った授業料の中から払っている事になります。それなりに親に感謝して、お小遣いGETするしかありませんね。
私も大学時代は360の軽、スズキフロンテでした。
無謀にも、私も大船渡から宮古まで走って、苫小牧までフェリーで北海道に渡って帰省していました。2サイクルだったので、オイルも持って足しながら(笑)
また、4年は最後だからって研究室の皆で越冬しました。
これも楽しい思い出、お金がないから帰らないとかじゃないですよね。(笑)