アンケートから(いじめ問題)

11月 6th, 2006

ここで、よく札幌のWEBニュースサイトのアンケートの結果を紹介している。
http://www.bnn-s.com/bnn/bnnLogin
今回行われていたのは、
「あなたは、いじめを受けたことがありますか?」
サンプルとしては、男性95人、女性30人の計125人とちょっと少ないものでしたが、結果は、
 ・友達にいじめられた 50票 40.0%
 ・いま振り返ればいじめだったと思う 25票 20.0%
 ・いじめられたことはない 20票 16.0%
 ・友達と教師の両方 18票 14.4%
 ・教師からいじめを受けた 12票 9.6%
私は、この数字、かなり現実に近いと思います。
この6割とも8割とも読み取れるいじめを受けた人たちは、いじめる側でもあったと思います。
「きもい」「死ね」などという決定的言葉を使わなくても、十分いじめは成立します。
同じ言葉でも、傷つく人と平気な人が居ます。
傷ついたと見える人も居れば、傷ついているのに平気な顔をして、深く痛んでいる人もいます。
いじめられ続けることを避けるために、気づかないふりをしている子もいます。
ちょうど今世の中で自殺が頻繁に起きる年代の子供をもつ親として私自身もやり場のない葛藤や怒りがあるのは事実です。
ただ、それに打ち勝つ心を持つ子供を育てたい。それがまず!なのです。
教育委員会、学校は責任の所在や対応ばかりに追われています。
個々の子供たちの苦しみ、そしていじめの実態を分かろうとはしていないような気がします。
まして、教師が平気で子供を傷つけている時代なのですから。
子供も、親も、学校も、そして、社会が弱くなりすぎました。


6 Responses to “アンケートから(いじめ問題)”

  1. anbe on 11月 6, 2006 7:53 PM

    そうですね、今の親も子供も、弱くなりました。
    先生による体罰が当たり前の時代に育った私には、そう思えます。
    小学校の時、1メートルの竹尺で、思いっきりひっぱたかれ頬にみみず腫れを作って帰宅したとき、
    母親が言いました「お前が悪いか、先生がバカなんでしょ」
    これ名言と思います。
    学校など、
    人生の ほんの僅かだけ滞在する所。
    違和ある 多数の人間が集まる所。
    その中には、良い人も悪い人もいて当然です。
    ひ弱な幼少時代といえ、どんな場合でも保護者がしっかり受け止めてあげれば、大丈夫。
    子供ながらに「善悪」を区別する能力を与えましょう。
    それが 我が子に出来るなら、心配することはありません。

  2. kera on 11月 6, 2006 8:07 PM

    子供の社会だけじゃないしね。いじめ。
    ただ、成長の現場での状況がひ弱になっていくのが残念ですね。
    全うなことが良いこととして認識されなくなった今、やっぱり『社会』がおかしくなってきていると思います。

  3. 福餅 on 11月 7, 2006 3:38 AM

     「いじめ」とは、忠臣蔵の物語でもある様に、江戸時代からあったものです。本当はもっと以前からあります。これだけ歴史のある行為は、数年で無くなる事はありません。これが現実です。
     「いじめ」で自殺するケースでは、殆どが中学生です。この時期は、精神的にも肉体的にも、不安定な時期だと言えると思います。
     また「いじめ」で自殺する中学生は、殆どが公立中学と言う事実があります。私の次女は、小学6年生の時に、「いじめ」の被害の兆候がありました。
     私の長女が公立中学に在学中、いろいろと先生との話をした事がありました。最初に先生の言った言葉は、『この時間外勤務の手当ては貰っていません。』との事でした。また話の途中で外出して仕舞い、話になりません。そして『ウチにも3歳の娘が居るので、早く帰りたい。』と言い出しました。最後は“早く帰れ!!”との言い方で、話になりません。
     次に話をした時にも、同じ態度でした。これでは生徒が悪に導かれる事は当然です。この先生は、教師としてではなく、人間として話をすべき人間ではありません。
     この公立学校の部活動は、運動系の部活動が殆どで、文化系の部活動は3団体しかありません。しかもサッカー部に於いては、授業前の朝の練習(朝連)と、授業終了後の午後の練習(午後連)があります。それも毎日の練習です。学校とは字の通り学ぶ所であって、部活動をする所ではありません。
     もう一つエピソードがあります。私が『なぜ毎日朝連午後連をするのか??』と尋ねた事がありました。
     最初に先生の言った言葉は、『良い仲間作り。良い環境。』との事でした。そして二回目に同じ質問をしたところ、『どんな生徒もどこか褒めるところを捜したい。』との答えでした。この時に、最初に言った言葉は、私を追い返す為の言い逃れで、二回目に言った言葉は、その場凌ぎと感じました。
     この状態では、「いじめ」があったとしても、言い逃れや責任転嫁をするだけの先生と思いました。また「いじめ」があったとしても、対処する先生では無いとの印象でした。この状態では「いじめ」が減る事は無いと思います。
     この状態に懲りて、次女からは私立中学に入学させました。次女の中学は小中一貫の学校で、中学卒業後そのまま系列の高校に入学するシステムです。
     面白いのは中学生と小学生が一緒に遊んでいる事です。この学校は、中学生が小学生の面倒をよく見ています。「自由」を看板にしたこの学校での「いじめ」の自殺者はありません。また「いじめ」の対処は真剣に考えています。先生との接見では、公立学校の様に、話の途中で何度も中座をする事もありません。但し長くなりますと、トイレの休憩はありますが、それは当然の常識的休憩です。また先生が給料の話をする事はありません。「生徒の為だったらどんな事でも」という印象でした。
     私の感じているところでは、小中一貫の学校の場合は、9年の年齢幅があります。中高一貫の学校の場合は、6年の年齢幅があります。小中一貫でも、中高一貫でも、これだけの年齢幅がありますと、中学生が悪い事が思う様に出来なくなるのではないかと感じています。中学の三年間だけを、同じ不安定な年齢だけで隔離して仕舞いますと、常識を大幅に外すのでしょうか??
     実際に公立学校のテストケースとして、小中一貫校を実行した結果は、あまり問題になる事はなかったとの結果がありました。中学生が小学生の面倒を見る事は、中学生にとっても年上の自覚が芽生えます。また中高一貫ですと、中学生の自覚が芽生えさせられます。最近では核家族化して、少子化が進んでいますが、兄弟が同じぐらいの年齢となりますので、違う世代との交流が少なくなります。これが「いじめ」に影響しているとも思われます。
     私の時代は小学生から中学生までの年齢幅で、5〜6人で遊ぶ事が多かったものです。当然「いじめ」はありました。しかしいじめる者は、或る程度のラインを決めて、それを大幅にはみ出さない様の止めていました。またはみ出そうとすると、他のメンバーが止めたものです。
     今ではそれを止める者が、居なくなったのではないでしょうか??また大人数で一人をいじめても、一対一であって、大人数で一人をいじめる事はありませんでした。またエスカレートしますと、ギャラリーが「そのぐらいで・・・」と言って止めました。死ぬまでいじめる事はありませんでした。
     ひとつエピソードですが、次女の3才年下に愚息♂がいます。この愚息♂を私立学校を受験させるべく、学校説明会に行きました。拙宅から約15キロメートルぐらいの学校で、校名は言いませんが、その学校の先生と話をした時の事です。
     先生から、「◎◎市の■小学校ですね。公立だったら△△中学ですか??それとも▽▽中学ですか??」と尋ねられました。▽▽中学とは、長女の通った中学です。そこで私は「▽▽中学です。」と答えますと、先生は「あそこは、運動は盛んですね。しかしちょっと荒んだ生徒さんが多いようですね。それだから私立学校に入れたい訳ですね。」と言われて仕舞いました。15キロメートルの間には、数多くの学校があります。恐らくその途中の全ての学校では、この荒んだ状態を知っているものと思います。つまり▽▽中学は、荒んだ学校で有名な中学でした。また卒業式には私服警官が配備される状態の中学です。
     この状態では、「いじめ」が無くなる事もないでしょう。

  4. kera on 11月 7, 2006 7:14 AM

    とてもお子様のことをお考えのお父様ですね。
    うちの旦那さんに見習わせたいと思います。
    もう「任せた!」でまったく学校選びも、日々のこともノータッチなんですから(笑)
    私も中高一貫のミッションへ行きました。
    昔も、今もその学校はいじめがあります。
    ただ、いじめの実態、報道はありません。
    それはすぐに退学になるからです。
    自殺もありました。でもいじめとの関連性は分からないという状況にします。
    でも、今、私立の方が質が高いということは私も思います。
    北海道は特に、私立が少ないので公立の教師、学校に危機感もありませんし、組合が強すぎるし・・・って。
    このいじめ社会、大人が作り出したものかもしれませんね。

  5. TARZAN on 11月 8, 2006 7:40 AM

    まぁこの問題は 戦後60年かけて大きくなったもんだから、今だけを見てどうこう判断する問題では無いと思います。
    正しい歴史教育と 日本人としての「根」の部分を今一度 まともに後生に残し伝えていかないと 日本の将来は見えてきません。
    何か問題が起きると いつも決まって何らかの力が働き 多面的な考え方が出来なくなります。問題はここで 始めにこの「一面的思考」が一人歩きして そうでない意見を云うことがタブーになってしまいます。
    ここではあまり突っ込めませんが この閉塞感こそ現実日本の抱える最大の問題ではないでしょうか?

  6. kera on 11月 8, 2006 8:19 AM

    今週から某TV局では「教育番組週間」とかで、このいじめをはじめ今の教育、学校問題の特集、特別番組が組まれていますね。
    こんな馬鹿親とか、こんな生徒じゃ教師が持たないとかという切り口も・・・
    これも何かの力が働いているのでしょう。
    報道も、このごろは文部科学省、教育委員会、教師への批判という一面的な見方が主ですよね。
    そして、教育という一番開かれていなければいけない場所が一番閉塞されているようにも思えます。
    学生から、大学を出てすぐ教師になる。
    学校社会しか知らない教師。
    しかし、社会の規範、常識はそんな温室の中だけの事柄ではないはずです。
    難しい問題です。
    60年とは言わず、いじめって有史以来の問題かもしれないと思います。
    子供を育てる、親の出来ること、適切な範囲、むずかしいな!と、思います。

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