大船渡で暮らした3年間

3月 15th, 2011

とにかく生きていてください。
たくさんの知人、恩師、仲間、後輩


5 Responses to “大船渡で暮らした3年間”

  1. あんべ on 3月 15, 2011 8:59 AM

    盛岡のライフラインは、一部を除いて回復しました。
    お陰様で無事。被害も思ったほどではありません。
    御心配、有難うございました。

    大船渡市・・・・
    友人知人の消息がつかめません。
    ぶじでいることだけを祈ってます。

  2. ちいちゃん on 3月 15, 2011 10:36 AM

    郵政のヘルプデスク自体の子の実家が陸前高田でgoogleアースで見ると海から離れて山の方なので大丈夫かなと思ったら、昨日テレビを見ていて「ここ竹駒町まで津波が襲ってきました」と取材者が話していました。

    心配でしたが家にいたお母さんは家の上の小学校に避難しているのが映像に写っていて(顔ではなく避難者名簿)無事が確認取れました。
    ただ職場にいたお父さんは安否不明のままです。
    そんな中今日は彼女の誕生日 「こんな時期だけど誕生日おめでとう」ってメッセージを送るとともに地震の一週間前の桜を添付しました。

    17年間もメールや電話、年賀状のやりとりをしている仲間 誕生日を家族で祝えるようにお父さんが見つかるといいな。

  3. ケラ on 3月 15, 2011 6:08 PM

    私が住んでいたアパートがあった場所も津波が来ているようです。
    その現実も、もしかしたら被害を避けられなかった人がいるかも?という現実も受け入れられずにいます。

    大家さんご夫婦の名前を安否確認サイトで見つけました。
    良かった。

  4. toraneko on 3月 15, 2011 9:35 PM

    何ヶ月かしないと確実な安否確認は出来ないですよね。
    避難所にいて消息が不明だということを祈る以外にないですね。

  5. ケラ on 3月 15, 2011 11:51 PM

    静岡でも大きな地震が!
    日本はどうなっているんでしょう。

    今回の地震(津波)被害、計り知れませんね。

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