8)ラインガウ:ロルヒ〜マインツ」カテゴリーアーカイブ

エーベルバッハ僧院の展示品

シトー会の創立は1098年で1000年以上も前の事、展示品は1000年と言う気の遠くなるような歴史の古さを感じさせられます。禁欲生活、厳しい沈黙の掟、さらには肉食、暖房の放棄など想像もつかない生活をしていたようです。12、13世紀はその厳しい戒律生活の全盛期。その後、13〜15世紀には宗教改革による経済構造の変化で牧師的学問的な仕事を担い禁欲的な生活はすたれ、修道士によるワインの醸造などで、18世紀には経済的に全盛となったとされています。

エーベルバッハ僧院

今は修道僧は生活していませんが、ヘッセン州で最も重要な中世の建築物と言われ一般に公開されています。受付で団体割引をして貰っているところです。大人3.3EURのところを10人以上で2.5EURでした。絵はがきやカレンダー、ワインなどが買えます。日本語のパンフレットがありました。
中庭があり周りは回廊となっています。

入り口のすぐ右側には僧侶の寝室がありゴチック様式のアーチが美しく弧を描いていました。昔は板張りの寝台が何の囲いもなくそのまま置かれていたそうです。冬は寒かったに違いありません、、、

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映画「薔薇の名前」の舞台

2004/5/7午後4時30分
いにしえのシトー会大修道院、ラインガウのエーベルバッハ僧院(Die ehemalige Zisterzienserabtei Kloster Eberbach im Rheingau)ショーン・コネリー主演の映画「薔薇の名前」のロケ地となった僧院でも有名です。中世イタリアの僧院を舞台に、連続殺人事件と禁断の書(宗教的な禁断の書です)、、、映画は見ましたが一度原作を読んでみたいと思ったほど印象に残った作品です。

エーベルバッハ僧院へ向けて

2004/5/7午後3時40分
トロイチ家に別れを告げてマインツヘ向け出発。途中クロスター エーベルバッハ僧院に立ち寄ります。トロイチ家とは今夜マインツでお別れ会をを兼ねて食事をします。
バスに乗ると助手席に見知らぬ誰かが乗っています?ディルクさんのお嬢さんでした。にこにこして人なつっこい少女です。ディルクさん、昨夜は自宅が近くのバッハラッハなのでロルヒに泊まらず、午後の出発に合わせて来て頂いたのでした。学校は午前中だし、明日は休みなのでついて来たようですね。アットホームなバス会社(笑)

トロイチ/ブジネリ家のケラー見学

昼食後いったん外に出て全員で記念撮影をしました。今気が付いたのですが、長男のフェルディナンド君も一緒に写っていました。皆にこにこして最高の気分ですね。O君の奥さんのSさん、しっかりとワインの瓶を抱えていますね(笑)
地下のケラー、黒いカビに覆われ、いかにも年代を感じさせます。木樽も年月を物語っています。

木樽の奥にはステンレスの樽も見えます。
この新しい木樽はドーリスさんが日本を訪れた時の記念に、日本の皆で贈った木樽です。「日本のフアンより、、、」と書かれています。

シャッツカンマー?すっかり瓶がカビに覆われています。凄い!黒カビがびっしりで、ワインにとってはいかに良い環境である事がわかります。

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ドーリスさんの手料理で昼食

2004/5/7午後2時
ワインプローベが終わり、買い物であふれた荷物を日本に送るため荷造りをした後、昼食となりました。お母さんのドーリスさんの家庭料理で昼食です。2時を過ぎお腹が空いていたのと、美味しさで何度もお代わりをし過ぎたのが、後で大変な事になります、、、(それは後で )
すてきなペーパーナプキンです。使うのがもったいなくてよけていたら、食後におかみさんが5、6枚集めて「おみやげに持って行けば」と私に。いくらなんでも図々しいと言いながらもカバンに入れてしまいました(笑)
パンプキンスープです。濃厚な味がお腹に染み渡ります。

ミートパイ?パン生地に味付けした挽肉をとチーズをのせオーブンで焼いたものです。赤ワインが良く合いました。

ファビアン君がテーブルを廻ってキャンドルサービスです。マッチが使えるんだぞ、と得意げです。
デザートはラズベリーのケーキです。これもお代わりしてしまいました(笑)

ファビアン君

次男のファビアン君10歳(?)登場です。お父さんによく似ていますね。とてもニコニコしていて、いろいろとお手伝いをして頂きました。

このクルミは殻が意外と固くなく、クルミ割り器で簡単に割れます。実は大きく軽い感じの味がします。ドイツではシナップスに数個入れて保存しておくと風邪によく効くそうです。お母さんのドリスさんが日本を訪れた時にお土産に頂きました。

昔のぶどう摘み取りとラベル

試飲をした部屋の壁に昔の写真が掛けられていました。その中の一枚、ぶどうの収穫風景です。手作業で一房一房摘んで筒の形の木で出来た背負子に入れています。小さい子供もいて、一家総出で収穫している様子がわかります。トロイチ・ブジネリ家では今も昔も手作業は変わりありません。
右の写真はほとんどのラベルに使われる絵の原画です。左側にライン河が流れ、ロルヒの街があり、ぶどう畑が続く丘の上には中世の塔。そして自宅とその手前にぶどう棚のあるテラス。テラスでは談笑する人々が描かれています。お馴染みのラベルです。

ワーグナーとの友情を記念したワイン

トロイチ・ブジネリ家では毎年特に良くできたワインを特別な瓶に入れます。濃いグリーンで、この写真ではわかりませんが、ラベルから上は16角錐のようにカットした形になっています。そして毎年ではありませんが、アントン プジネリさんとワーグナーの友情を記念したラベルを使います。裏のラベルにはアントン プジネリさんにワーグナーが最初に書いた手紙と最後に書いた手紙が印刷されています。ワーグナーは1813年に生まれ1883年に没しています。最初の手紙は1843年でワーグナーが30歳の時に出されています。正にアントンさんが主治医になった年です。最後の手紙は1877年で親交は30年以上続いた事になります。アルネさんの話ではこのラベルを使うのはこれが最後との事でした。

トロイチ・ブジネリ家は音楽一家で、アルネさんの妹さんカロリーネさんはフルートの名手です。カロリーナさんは以前(5、6年前)NHKのBSの番組「真夜中の王国」世界のCampus Lifeで、カロリーネさんの大学生活を紹介した番組が放送されました。その当時、カロリーネさんはデュッセルドルフの国立ロベルト・シューマン音楽大学の6年生で、フルートを専攻していて、フルートの練習風景やアパートでの暮らし、休みで実家に戻った様子などありましたが、今改めて見てみると、訪れているこの家、お母さんのドリスさん、お兄さんのアルネさんなどが映っていて懐かしい?感じがしました。その番組でドリスさんに番組スタッフが質問した事がとても印象に残っています。
「カロリーネさんがどのような女性に成長することを望んでいましたか?」
ドリスさん
「何も望みませんでした。なぜなら希望を持つと子供の未来に枠をはめてしまうことになるからです。」
番組ではカロリーネさんの担当の先生に演奏家となることを期待されていましたが、その後どのような道に進んだかは聞くことが出来ませんでした。
ところで音楽一家の話でした。新しいワインが出来、常連のお客さんにワインの試飲会をする時は家族でクラシックを演奏するのだそうです。

ワーグナーの主治医アントン プジネリさん 

アルネさんの父方のおじいさん、アントン プジネリさんはドレスデンでワーグナーの主治医をしていました。ワーグナーの主治医は3人いたそうですが、アントン プジネリさんはワーグナー30歳からの主治医だったとの事です。ドレスデンは反ナチ抵抗運動で多くの人々がナチによって殺害され、1945年2月には英米軍の空爆により廃墟と化し、多くの犠牲者が出た街。空爆によって瓦礫となった聖母教会は12年をかけその瓦礫となった石を集めパズルを組むように修復を試み、今年の6月には修復が完成しました。
「アントン.プジネリさんは旧東ドイツのドレスデーンに屋敷を構えるお医者さんで、ワグナーの主治医兼パトロンだった名家でしたが、戦争中ナチに協力しなかったかどで家族の男子は全員投獄されていました。その間に屋敷も財産も失い、父より先に釈放されたデイターさんはその日のパンにもことかく飢えと寒さに苦しみながら、各地を転々とし、ぶどう収穫時期にトロイチ家に労働者として働き、見込まれてオットじんさんの娘ドリスさんと結婚、父が釈放されるのを待ちながらワイン造りをしたことから、プジネリ家の人たちによるトロイチワインの歴史が始まっています。」(神田和泉屋のHPから引用)
ワイングート  トロイチ・プジネリ(Weingut Troitzsch/Pusinelli)